西アジア推しの演奏会でモーツァルトを弾くには。

こんばんは、井後優弥です。

これまでに垂れ流してきました駄文を読み返してみますと、
何かこう、たまには演奏家らしいことを書かないと、と思いました。

というわけで先日8月19日に開催しました
「エキゾチック・サマー・ナイト」について。

この公演、チラシ記載のとおり、
東欧から西アジア周辺をメインテーマにした演奏会なのですが
やってみるとジャジーなのが入ったり、だいぶ異種格闘技戦の様相を呈しておりました。
いずれもエキゾチックというか、異文化風な感じを前面に押し出した作品でしたので
まぁいいか、というゆるい判定具合だったのですが、
その中にしれっとモーツァルト(ソナタKV576)とクライスラー(美しきロスマリン)が混じっておりました。
お上品。

さすがにこれは一捻りしないと異物感がすごい、
ということで色々考えてみたんですが
どう考えても中和させるのは、無理。
だってその後に弾くのはバルトークとハチャトゥリアンですよ。
マカロンと味噌汁を一緒にいただくレベルで合わない。

というわけで、モーツァルトのソナタの前にトルコ行進曲差し込んで
これも一つのアジア趣味、そのままモーツァルト作品を演奏、ということで事なきを得ました。
おそらく。

こういうときに助けになるのがトークだったりするのですが、
難しいですね。

やりなれてなかったりすると
直球で曲目解説を読み上げたりするわけですけれども、
自分の感覚からすると、これから演奏する作品について知ってもらいたい、というよりは
会場の空気を和ませたり緩ませるほうが大事かな、と思っております
(曲目解説するのがセンス無い、と申し上げているわけではありませんよ)。

具体的に言えば、
まったく音楽上関係ない作品がプログラムに並ぶ際、
作曲家の生い立ちとか、なんでもいいので共通する要素を引っ張り出して
そのあたりをおちょくるような感じの(と書くと不遜ですが)トークを差し込んで
演奏作品をコネクトするケースが多いです。

いずれにしてもトークって簡単ではないわけです。
噺家に弟子入りしているわけではないですし。
知り合いにアナウンサー学校に通っている方がいましたけど
あれは例外。

スパイスの効いた感じだと
「聴くと体にいいらしいモーツァルトは弾く側の寿命が縮ませる」
という師の迷言があったりしますが、
とある知人は話が脱線しすぎて友達の友達はアルカイダみたいな
危なっかしい話題になって空気を凍らせたと小耳にはさみましたし、
そういうことにならないようにするためにも
ある程度は持ちネタを用意する、あるいは調べものをしておかないと
100~1,000人の来場者を前にして口を開くのは難しいわけです。

また別の知人で、ある公演で共演したときの話なのですが、
ずっとパリに留学して日本語のトークなんかしたことない、絶対無理、と言うので、
「共演者、風邪につき喉を痛めてます」とか何とか言って自分だけ喋ったことがあります。

これにて一件落着かと思ったら
好評につきもう一回、日を改めて開催する、なんて話になりまして、
どうするよ、さすがに「また風邪をひきました」は無理筋でしょ、となるわけですが
それでもトークはちょっと…となって、これまた何かいい方法はないかと思案していたら
「君、フランス語で喋ってくれ。自分、日本語に訳すから」
という妙案が思い浮かんだのですよ。

「なんで日本人がフランス語で日本人相手にトークするんだ」
よく考えなくても至極まっとうな理由で却下されましたけど。

ちなみに我が師はイタリア文化会館(東京)で
イタリア語と日本語、並列でトークしておられました。
素晴らしい。

一方、自分は先日、独ローゼンタールのプライベート公演で
ドイツ人相手に英語でのトークにトライしましたが
準備する時間なさすぎて爆死しました。
ちゃんと文章は打ち出したのですが、
母国語でもないのに予行演習せず、演奏と合わせてややこしい文章を読み上げるのは無理。
トークと演奏、それぞれ使う頭の回路が違いますし。
何事も準備が大事ということです。

公演の話からトークについて話が飛びましたが、
演奏家らしい話題ってこういう事を指すわけではないんですよね。
わかってます。
今度は演奏について何か書いてみましょう。

それでは。